私たちの和菓子づくり

職人
餡
福壽堂秀信のおはなし

職人

餡

餡

常においしい餡を炊くためには、職人はまず素材の目利きができなくてはなりません。
品質の良い小豆を手に入れることがまず第一歩なのです。
次に餡を炊く際には、小豆を水に浸す時間や水分量を日々の気温・湿度に合わせて調節し、
さらにアクを取るための渋切りの見極めが重要になってきます。

製菓

製菓

当店のお菓子は職人が手間をおしまず手作りしています。
定番の焼菓子や蒸菓子、羊羹など職人の手で日々美味しい味が作りだされています。
その為には原材料の計量や管理、製菓道具の正しい使い方とその熟練、
商品に合わせた糖度、粘度などをひとつずつ見極めて調製しなければなりません。
例えば薯蕷饅頭であれば、生地の配合や蒸し加減を少しでも誤れば ふっくらとしたおいしい商品にはなりません。
職人が繊細な気配りで作り上げる当店の薯蕷饅頭は他に比べ、
はるかにおいしい商品に仕上がっているのです。

技術伝承

 練り切り

練り切り

白生餡に砂糖、山の芋や餅粉を加え、よく練りながら炊き上げます。
この練り切りに色合いを付け、四季折々の花姿や風物をかたどる繊細な細工をほどこし、茶席や祝儀で使う上生菓子を作ります。

きんとん

きんとん

元々は、唐菓子の「こんとん」が変化したものだといわれています。「こんとん」は、練った小麦粉に砂糖や飴を入れたものです。今のような上生菓子のきんとんの姿になったのは江戸時代の半ば頃だといわれています。芯にする餡にそぼろ状の餡を箸で取り、まわりにうえこむようにして形をつくり、四季折々の光景を微妙な色使いで表現する上生菓子です。

職人

外郎

外郎(ういろう)は、うるち米、もち米などの米の粉に砂糖を加えて蒸したお菓子です。和菓子屋では生菓子の素材のひとつとして使います。(上生菓子に使うときは、葛を配合して上品に仕上げるときもあります)もっちりとしていながら、あっさりと滑らかな味わいをしているのが特徴です。

技術伝承

薯蕷饅頭

当店の薯蕷饅頭は山芋の中でも特にねばりの強いつくね芋を擦りおろし、
米粉と砂糖を合わせた生地で餡を包み、ゆっくりと蒸し上げます。
蒸すとふわっとした食感に仕上がり、上品で柔らかい薯蕷饅頭となります。
薯蕷饅頭を食べるとその和菓子店の力量が判ると言われます。

技術伝承

技術伝承

工芸菓子とは山水花鳥などの自然風物を写実的に、しかも芸術性豊かに表現します。
その始まりは江戸時代の元禄~享保の頃、大奥で鑑賞された「献上菓子」と言われています。
明治時代になり、白砂糖が輸入されてから打ち菓子や有平糖に色や形を加えるようになりました。
その後、京都を中心とした和菓子職人が技術を磨き、現代のような工芸菓子が作られるようになりました。
現代の工芸菓子の材料・製法は多岐にわたりますが、一般的には「雲平生地」という砂糖と、
餅粉(寒梅粉)を混ぜて練り上げた生地を用います。
例え小さな作品でも、 製作者に幅広い知識や洗練された技量がないと鑑賞に値する作品は出来ません。

餡

餡

丹波大納言小豆

丹波地方で取れる丹波大納言小豆は、気候や土壌に恵まれ、粒が大きくて色艶が良い最良のものとされています。
かつて大納言という官位のものは宮中にて抜刀しても切腹せずに済んだところから、煮ても腹の割れない、つまり皮が破れない大粒の小豆ということで、そのように名付けられたといいます。
弊店では丹波大納言は粒餡に使っており、3日間かけて丹念に炊き上げ、上品な甘みの風味豊かな粒餡になります。

餡

十勝小豆

小豆の品質として最も安定して且つおいしいと言われているのは北海道十勝産の小豆です。
小豆の皮がやわらかく、濃厚な風味が特長の十勝小豆はなめらかな舌触りのこし餡に出来上がります。

大手亡豆

大手亡(おおてぼう)は白いんげん豆の一種で、白餡の原料となる豆です。小豆のほぼ2倍ほどの大きさがあり、主に北海道を中心に栽培されています。
白餡は様々な材料と組み合わせて使われています。

餡

製餡(粒餡)1日目

はじめに小豆を一晩水に漬けおきします。
季節、水温によって職人が水分量や、
浸す時間を見極めて調節します。

餡

製餡(粒餡)2日目

小豆の煮汁のことを「しぶ」といい、小豆の風味を阻害する渋成分を前炊きで取っていきます。
この渋切りの見極めが粒餡の味を決めると言っても過言ではありません。
それほどに重要な工程となります。

渋切りが終わればいよいよ本炊きです。
ふっくらとした小豆が炊き上がり、蜜漬けして一晩糖分を浸透させます。 

餡

製餡(粒餡)3日目

蜜漬けしていた小豆を餡に炊き上げます。
炊き上がった餡を冷暗所で寝かせ、味を落ち着かせます。

このようにして手間をおしまず炊き上げた小豆が
濃厚な風味で上品な甘さの粒餡になります。

福壽堂秀信のお菓子は餡が美味しい

自家製餡だからこそ
商品ごとの特長をいかした餡が炊きあげられます

餡

福壽堂秀信のおはなし

福壽堂秀信のおはなし

福壽堂秀信は、昭和23年(1948年)初代岡本八稚朗によって
「福壽堂」として創業いたしました。
岡本八稚朗は、戦後間もない大阪に美しく心和ませる和菓子の魅力を伝えるべく、
その志を、雪の中より黄金の花を開く福寿草に託し、屋号「福壽堂」を考案したと伝わります。
また「観音経」という経典には「福聚(壽)海無量」という言葉があり、
屋号に選んだ「福壽」という言葉には、
和菓子を通じて福が広く無量の海のごとく世に行き渡ることを願う気持ちも込められています。

福壽堂秀信のおはなし

宗右衛門町は、格式の高い花街で、舞踊や人形浄瑠璃文楽などの浪花文化の
中心のような土地柄でした。
そこでは和菓子もただの「甘味」ではなく、日本の歴史の中で育まれてきた、
五感を通して季節の風流を楽しむ要素が、常に求められたのでした。
和菓子の世界は「米・味噌・醤油」という日本食の延長上に生まれ育ったものと、
「茶道」との切磋琢磨によって洗練されてきたものと、ふた筋があるように思えます。
後者においては、季節の風姿を色形にこめて、味は茶に添うようにとの工夫が重ねられました。
つまり何よりも「本物」であることが求められたのです。
岡本八稚朗は、創業から三年で、上生菓子見本帖を自らの手で描きあげ、
その基礎は、弊店上生菓子作りの礎として、いまも職人たちに受け継がれています。

福壽堂秀信のおはなし

全国菓子博覧(およそ4年毎開催)では、その都度内閣総理大臣賞など
数々の最高位賞を受賞してまいりました。
また、京都御所より上生菓子の拝命を授かったことも私達にとってこの上ない名誉なことでした。
爾来、天皇皇后両陛下への菓子献上並びに宮内庁御用命度々に及び、
いよいよ私達の和菓子が大きく花開くこととなったのです。
1958(昭和33)年、宮内庁京都事務所の石川忠所長(当時)より「秀信」の名を
菓匠名として頂き、ここに「福壽堂秀信」の名が成りました。

福壽堂秀信のおはなし

福壽堂秀信の商標である「花車」は
伊勢神宮外宮に伝わる「刺車文」に牡丹文を配したもので、
和菓子の素晴らしさを富貴の花姿に託し、
広く世にもたらしたいという気持ちを込めています。