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2018.04.01

お花見と花まつり

桜前線が近づくにつれ心浮きたつ季節、冬を乗り越えた目にうつる花こそまた格別です。

 

  いまでは桜を楽しむのがふつうですが、奈良時代には梅のお花見が一般的だったようです。 そもそも花を愛で楽しむことを行楽の目的とする文化は他国にはほとんど例がないようで、きっと桜という花のもつおおらかな、そしてはかない美しさが、日本人をしてお花見に向かわせるのでしょう。




  桜の語源をたどると、稲の霊をあらわす「さ」と依り代としての「くら」から成るという説があります。
農村では、満開の桜に降りたった神に豊作を願うという、春の予祝行事としてお花見が行なわれていたともいわれます。
  一方で、元禄頃のはやり歌に「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る」という端唄があります。
満開の桜のように満ちたるものにのみ美を見出すのではなく、散る花やあるいは十三夜の月など、
いわば移ろう季節のその「移ろう」ということにこそ諸行無常の美を感得してきたのも、私たちの文化です。


そういう美意識の伝統を、和菓子にも受け継ぎ生かしてゆきたいと思います。



  さてお釈迦様はどのような花のもとに生まれたのでしょうか。
そのとき世界は歓喜し、竜は頭上に水を降らせて覚者の誕生を祝福したといいます。
4月8日はお釈迦様の誕生日とされ、潅仏会(花まつり)が催されます。
花を飾った小さな御堂(花御堂)にお釈迦様の像を安置し、竜にならって水(甘茶)をそそいでお祝いします。この水は神々が飲む不死の水アムリタといい甘露と訳されます。



  甘味は人間に喜びや楽しみをもたらす感覚であり、慈しみや慰めとなるように思います。
お釈迦様の生誕を祝う甘茶(甘露)も、この甘味をもって供養となるのではないでしょうか。
和菓子の甘味もまた同じように、癒しと供養に通ずるものがあるのです。