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2018.06.24

七夕の話

7月7日だからと言って、小さいお子様のいらっしゃるお家でもなければ、
ことさらに何かを行なうということはなくなったのかもしれません。


江戸の頃は、子供がいようがいまいが、また貧富にもかかわりなく、どの家でも竹竿を用意して願い事を書く短冊作りを楽しみ、
他家に勝って高くあらんとの意気込みで屋上高く立て上げたそうです。

『江戸府内絵本風俗往来』という書物には「その立ちつらなりし様は実に美事にして空もおおうばかりなるは、大江戸の太平、繁昌なるを知られたり」とあります。

七夕の夜にだけ逢瀬が許されるという織姫と彦星ですが、いったいどうしてそのような理不尽な仕打ちを受けねばならなかったのでしょうか。
中国の星伝説はこう述べます。



…天帝の娘である織姫は機織りがとても上手でした。
天の川の岸に住み美しい天衣を織っていました。ある日、天帝は一人身である織姫を哀れに思い、天の川の対岸に住む彦星に嫁がせました。
ところが織姫は結婚したあと機織りをしなくなってしまったので、怒った天帝は二人を引き離し織姫をもとの岸に帰らせました。
ただ7月7日の夜にだけは彦星に逢うことを許され、天の川にカササギという鳥で橋をかけて彦星のもとへと急ぐのです。
(彦星は待っているだけのようですが)…



織姫の願いがかなうこの時にあやかり、女性が機織りや裁縫の上達を星に祈る行事は、乞巧奠(きこうでん)と申しました。
巧みを乞う奠(まつり)という意味で、中国では唐の時代から盛んだったようです。
日本には奈良時代に伝わり、時代を経るにしたがって次第に様々な芸の上達を願う行事へと移り変って行きました。
江戸時代には、筆の上達を願うことが主流であったといいます。
古くは梶の葉に歌を書いて笹竹に飾っていましたが、梶の葉が後に短冊へと変わっていったのです。

日本にもともと存在した七夕行事は、お盆を前にした禊(みそぎ)として、あるいは畑作の収穫祭として、神を迎える古来の習俗でした。
神を迎えるのは潔斎した女性であり、「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれました。
「たなばた」の語源はここにあるといわれます。
棚機女に選ばれた女性は村から離れたところにこしらえた機織りのための棚(小屋)で、
神のための衣を一人で織ったのです。

衣を織り終えた棚機女は七夕送りを行ない村の一切の穢れを神に託して持ち去ってもらいます。
こうしてお祓いを済ませた後に村は先祖供養のお盆を迎えるのです。




この棚機女の行事が中国から伝わった織姫星信仰と習合し、7月7日の夜に笹竹を飾り願いごとをして、それを川や海に流すことで厄払いとする風習が生まれたといわれます。



 

「ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子 / 五色のたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる」(「たなばたさま」 作詞:権藤花代・林柳波、作曲:下総皖一)


…この抒情が子供たちにとっていつまでも身近でありますように。




余談ですが、織姫星は琴座の主星ベガ、彦星は鷲座の主星アルタイル。
天の川をはさんだこの二つの星の間は約16光年。1光年は約9兆4600億Kmですから、「逢いに行く」と言ってももはやその距離は人の感覚では測れないものですね。
 ベガとアルタイルにもうひとつ、白鳥座のデネブを加えると、夏の大三角形ができあがります。