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2018.01.23

節分のこと

■追われた鬼はいずこへ

明かりの消えた部屋や窓外の暗闇に向かって「鬼はそと福はうち」と豆を投げやる習いは、闇の中になにやら悪しきもののひそみを思わせ、普段はなんでもない部屋の一つ一つが、かえってとてもこわく思えたものでした。

そんな節分の行事は、「鬼」を外へ追い出すだけではどうにもならないと知っている今でも、まだ「闇」があった時代を懐かしみ、呪文のような言葉で「福」がどこからかおとずれるような、不思議な気分にさせてくれます。

江戸時代には年男が羽織袴か裃姿で豆をまく作法がいくつかあったようです。例えば、豆を煎るときは「福徳福徳」と言う、豆は三度握って三度まく(打つ)、「富は内、福は内」と三度唱える、雨戸は細めに開けて豆を打ち急いで戸を閉め内から雨戸が破れるほどに叩く(これはすこし怖いですね)、豆を打ち終わると家族一同に「まずは滞りなくすみまして、おめでとう存じます」と挨拶する・・・などなど。

あるいは「鬼は内、福は内、富は内」と唱え柊も鰯の頭も飾らないという奇特な家では、なぜか鬼のおとなうことがついぞなかったという話も伝わっています。

少し趣向は違いますが、江戸怪談話にはこのようなひやりとするような話が「これもまた一奇なり」とさらりと語られて、日常と怪異とがまざりあっていたような雰囲気が感じられます。つまり怪異は恐怖とはまた違っていて親しみ深いものだったのでしょう。



■春迎え

現在では「節分」は立春の前日だけをいいますが、本来は字のごとく、季節ごとの分け目をいうものでした。
春の節分だけがいまに残っているのは、それが旧暦の大晦日の行事と重なっていたためと考えられています。旧暦では立春がちょうど1月1日前後にあたり、新年を迎えることと春を迎えることとが、暦の上で重なっていたのです。

年の終わりに豆をまいて鬼を外に出し、新しく福を迎えることは、厄払いのためでもあり、気分新たに新年新春を迎えようとする気持ちのあらわれでした。


フェデリコ・フェリーニ監督の「アマルコルド」という映画の冒頭に、魔女の人形をもやして春を迎えるという行事がえがかれていました。恐ろしそうに見つめる子供に大人は「冬が死に春がよみがえるんだ」と言います。火はいずこでもけがれを浄化するものであり、それは恐ろしいだけに厳粛な神秘を秘めているようです。

つらく厳しい冬、暮らしの中に積もった厄、そのようなものどもを打ち払ってようやく、春はよみがえりもし、やっても来るのでしょう。そして明ければ、うぐいすもなく立春大吉でございます。

めでたしめでたし。